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根暗乙女ゲーマーの無意味自堕落私生活。
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こんにちは、なんだかむしょうにどこかに何かを書き付けたい気分に駆られたために日記書いてます。
すごーく真面目なテンションで書いていくので、シリアスモードの美合さんなんて許せん!てめぇは知盛に狂ってればいいんだよ!っていう方はご覧にならないほうが(笑)
要するに、いつものあれです、哲学病(笑)



彩雲国物語をやっと全部読みました。
うん、ほら、あれってすごく(終わってないけど)最後、素敵でしょう。
特に龍蓮と影月と秀麗コンビ。素敵です。努力して努力して、それであれだけ守り抜いて幸せになって。
龍蓮可愛いなあ。
それと「藍」の話の最後の劉輝。
なんだかむしょうに切なくてですね。
そしたら色々いつものことですが、真面目に考えちゃいましたよ(笑)
静蘭は幸せですね。苦悩はあったって、「静蘭」を見てくれる人がいっぱいいて、手のひらから零れ落ちそうなばかりに大切なものに囲まれて。
それを放棄したり、諦めたり、切り捨ててきたのが静蘭だけど。
そうじゃない、それはできるだけのことをした後の話だって…そんな風に思えてきた静蘭を読んでいて、劉輝より幸せなんだろうと思うのと、自分もそうだったんじゃないかな、とちょっと思いました。
どのキャラでも、自分に似てるところってどこかしらあるでしょう?
いつも思うけど、私キャラの○○似てる、とかってちょっと違うような気がするんですよね。自分で言った時とかもそう思う。
だって、人って多面的で、一面なんかじゃ絶対測れなくて、だからその人はその人しか存在しなくて、それが人を孤独にすることであって、でもだからこそかけがえがない存在ってことだと思うから。
やっぱり私は色々な人に似てる部分を持つ反面、誰にも似てない私なのだと思います。
そんな私は、実は一年ちょい前、とある出来事がありました。
それは周囲から見たらきっと長い人生の出会いと別れの一端でしかないような、ほんの些細な出来事なんでしょうが、私にはそれまでの自分と、これからの自分を左右するような、二度目のそんな出会いと別れでした。
一度目は高校時代に亡くなった彼氏です。
それまでを一生懸命生きてこなかったといわれれば、きっとそんなことはないです。
それまでも多分自分なりに一生懸命な面もあったとは思います。
だから私は後悔だらけで思い出したくないこともたくさんあるけど、それでもその日までの自分を恥じたりとかはしないようにしよう、と最近は思ってます。
その別れの時に、もっと成長しよう、自分が自分として自信がもてるようになろう、と思ったのです。
そして色々なもの越えたい、と思いました。
それから一年ちょっと。
今年の大きな山の二つ、教育実習と就職活動が始まった時、ぶっちゃけ逃げたかったけど私は自分が成長するチャンスと前向きに思えるようにと思った。
一つだけ、誇れるとしたら、私、本当ここ半年くらいで、変われたものがあるんです。
後ろ向きになることばかりだったけど、でも、前向きに考える術を身につけつつあると思ってます。
逆に友人ズが後ろ向き過ぎると殴りたくなりますが(笑)
例えば某就職活動鬱の人とかね(笑)
辛いのは自分だけじゃない、とかそういうことも色々思うけど。そういうことじゃなくて。
「幸せとは、そうあろうと努力した人だから幸せなのだ」と某本の名言ですが。
私は本当にそうだと思える、最近。
貧乏だとか、金持ちだとか、そんなことではなくて。
どんな恵まれた状況にいたって、人は犯罪を犯す人とそうでない人がいたり、笑顔になれる人がいればそうでない人がいる。
人が幸せかどうかは、「その人のありよう」なのだ、と痛感するのです。
何も落ち込むな、凹むなと言ってるんじゃない。私も散々凹み、落ち込みます。
そして、私はいつだってそうやって嫌になれば投げ出して、切り捨ててきた。
その別れも、その一つだった。
何もないほうがいっそ楽、ってのは確かにあります。手のひらが空なら握り締めて守る必要はないんですから。
でも例えば劉輝がそうであったように、私は最初から何も掴んでいないために寂しさを知らない、なんて人間じゃないし。
だからそれが大事だと思ったら、幸せになりたいと思ったら、待ってるだけでも受身でも駄目だし、動かなきゃいけないし、守らなきゃいけないし、そうしようとしない人に寂しいとか悲しいとか言う権利さえないような気がして。
頑張る人が好きです。
自分も含めて気力のない人が多い世間だから、熱血な人が敬遠されるけど。
確かに馬鹿みたいに映るかもしれないけど、本当はみんなきっとうらやましい。
私は幸村のような熱血にはなれませんが(笑)、幸せになりたいから、努力してたい。
私はご存知、甘いわ、人が結局好きだわ、寂しがりやだわ、手に負えないんですが。
そのくせ、見ちゃった方はごめんなさいですが、今までっていうかその別れ以後成長しようとか思った割りには、何回もブチ切れるわ、怒るわ、だったと思います。
私は多少知ってます。
自分も人間という生き物も、そんなに綺麗ごとばっかりじゃないし、汚いことだってする。
「多少」としかいえないのは、私はまだ世界全部知ってます、といえるほどの人間ではないから。
ただ、その上で、私は信じます。
人は本当にどうしようもない生き物なんかじゃない。
どうしようもない生き物なら、とっくの昔に滅びてるのだと。
これ書きながら、おかしなことを思い出しました。
中学時代、とある同級の友人と帰りながら、似たような会話をしたことがありました。
私はあの時、反抗期ということもあって、「人間はどうしようもない。滅んだ方がいいかもしれない」と言ったのです。
中学生がどんな会話してるんだ、って思うかもしれませんが、中学生だからこそ、こういうことを考えました。本気で人類の存亡と自分の未来と人生について、あれほど真剣だった時期はありません。
生きてさえいれば、人は信じられる。
そういう生き物です。
未来を生きれる生き物です。
だから影月が朔を怒るのも分かります。
生きたいと思っても生きられない人もいるのに、なぜ生きない。
それは本当に分かる。
本音言えば、私だって死んだ彼氏、もっと生きて欲しかったし、奴も生きれるなら生きたかったと思います。
私は、奴の分の命も自分で負ってることを時々忘れかけてはこうして思い出します。
生きるのが辛いのは当たり前です。
その分幸せも詰まってるからです。
世界はとても綺麗だと思います。
そう思えないとしたら、それは自分の目が曇ってしまってるからだと思う。きっと何か原因があるのです、そこに。
何度もくじけるけど、最近ちょっと前向きになれるようになった自分に自信がつきました。
まだ色々あるけど、とりあえず何気に実は矜持が高いので、一つだけ。
負けたくない。
人生の重責全てに。
ありもしない枷が自分にあると思ってるなんて冗談じゃない。
もっともっと私は私として生きたい…なーなんて。

こっから馬鹿話混ざります。
そう考えてると、私が知盛が非常にむかつく訳が分かりますね!
本当に大好きで愛しててそして大嫌いだ、あいつ。
結局全部知盛で収束するのです。
もうやだ、この人(笑)

でもわが心の君にそんな話をした時に、
「あんたの年なら本当は自分で手一杯の年なのに、それでもそう思うなら、人のために生きてみたらどう?自分のために生きるのは誰にもできるけど、人のために生きる人はそういないだろうから」
といわれてさすが、と思いました。
いいこと言ってくれる。
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女性
自己紹介:
共感する言葉は「苦しい」「辛い」「切ない」。
好きな言葉は退廃と殺伐と絶叫と断末魔。
最萌は知盛、泰衡、ナーサティヤ(遙か)とe-zuka(GRANRODEO)と杉田智和(声優)
表向きより虚ろ気味な基本根暗の乙女ゲーマー。
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